湯浜遺跡の出土品
(八丈島歴史民俗資料館 展示)
倉輪遺跡出土の縄文土器
(八丈島歴史民俗資料館 展示)
倉輪遺跡出土の石製装身具
(八丈島歴史民俗資料館 展示)
八丈島に昔から伝わる
絹織物「黄八丈」
八丈島流人第1号の
宇喜多秀家公と豪姫の像
昔の島民の暮らし
(八丈島歴史民俗資料館 展示)
現在の八丈島
(登龍峠からの展望)
昭和37年、八丈温泉ホテルで温室造成工事を行ったとき、大型の磨製石器が採集され、この遺跡が知られることになった。
東京都教育委員会の調査で2軒の竪穴式住居跡が発掘された。
縄文時代早期(約7000年前)に編年され、その諸様相は南方諸島、あるいは黒潮の流れる地域からの伝来を思わせる。
しかし神津島産の黒曜石が石器に利用されていることなどから伊豆諸島や本土とも密接な関係をもっており注目されている。
(八丈島歴史民俗資料館より)
【×】CLOSE昭和52年、八丈温泉ホテルの温泉プールの拡張工事で多量の遺物が発見され知られることになった。
その後、東京都および八丈町の両教育委員会により数回調査が行われ、埋葬人骨をはじめ縄文時代前期終末(約5000年前)から中期初頭(約4800年前)にかけての遺物が多量に出土した。
東京都最南端の縄文時代の遺跡として注目されることになった。
(八丈島歴史民俗資料館より)
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