梅辻規清墓

梅辻規清墓

区分:都指定
指定年月日:S2.3      標識
                      S27.4.1   史跡指定
                      S30.3.28 旧跡指定
                      S35.2.13 種別変更
種別:史跡
員数等:1基

解説:梅辻(賀茂)規清は、江戸時代末期の神道思想家で烏伝(うでん)神道の開祖です。寛政10(1798)年、山城上賀茂神社の社家に生まれました。神学、国学、天文、暦数に精通し、陽明学、禅学などの知識も豊富にもっていました。また好んで諸国を遍歴しました。この遍歴における宗教体験と神道信仰、さらに陽明学、禅学の思想を採り入れて確立したのが烏伝神道です。弘化3(1846)年、江戸下谷池の端仲町に居を構え、ここを瑞烏園と名づけて神道教法の本社として広く庶民を教化しました。門弟信者数は数千人に及んだといいます。幕府はその活発な布教活動を恐れて規清を投獄、弘化4(1847)年、八丈島に配流しました。規清は、中之郷の山下鎗十郎宅に寓して100冊もの教書を著したといわれ、島民の子弟の教育にも尽力しました。文久元(1861)年7月21日、64歳で没しました。著書に、『日本書紀常世長鳴鳥(とこよのながなきどり)』、『烏伝神道大意』、『陰陽外伝磐戸開』、『根国史内篇』、『古事記鰐廼鈴形(わにのすずがた)』などがあります。
墓石は自然石を利用しており、埋葬当時のものと思われます。
―東京都文化財情報データベースより―

アクセス等:町営バス「中之郷出張所前」バス停より徒歩6分

備考:

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