銅板源為朝神像

銅板源為朝神像

区分:都指定
指定年月日:S35.2.13
種別:有形文化財(歴史資料)
員数等:1面

解説:慶長7(1602)年、為朝信仰のために造られました。正徳元(1711)年、将軍家疱瘡治癒祈願のため江戸に招来され、その後度々江戸で開帳されました。昭和46(1971)年まで、八丈小島の為朝神社に奉納されていました。
源為朝は平安末の武将。保元の乱(1156年)で父源為義と崇徳上皇につき、後白河天皇側の兄源義朝や平清盛と対立しました。平氏を撃退するも義朝に敗れ、為義は処刑。為朝は武芸の才により死を免れ、伊豆大島に流されました。後に為朝は近隣の島を征服して勢力を拡大したため、伊豆国領主狩野茂光に攻められ自害しました。この時為朝は大島を脱出して八丈に渡り、最後は八丈小島で討たれたとの伝説があります。
鋳銅製の長方形で、上部に鈕が2つあります。縦17.9cm、横23.8cm、 厚さ0.35cm。衣冠束帯姿で太刀を佩き、座して合掌する姿が浮彫りされています。その右に弓1張と1番の矢を陽鋳し、左右両端に陰刻文があります。右の銘文は「奉造立意趣者一切所願皆令満足祈念所也」、左は「慶長七季壬寅八月吉日 京都二条宝町而作之 奥山縫殿助」。奉納者の奥山縫殿助は当時の代官です。製作技法は精巧とはいえませんが、江戸初期の伊豆諸島における為朝信仰を物語る資料として重要です。
―東京都文化財情報データベースより―

所在地:東京都八丈島八丈町大賀郷2466番地2
東京都八丈支庁展示ホール内 八丈島歴史民俗資料館

アクセス等:町営バス「町役場」バス停より徒歩7分、「旧町役場」バス停より徒歩5分、「スーパーあさぬま」バス停より徒歩1分
※バス停は「歴史民俗資料館」ではありませんのでご注意ください。

備考:歴史民俗資料館の館内観覧には別途料金がかかります。詳細はこちら

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