八丈島西山卜神居記碑

八丈島西山卜神居記碑

区分:都指定
指定年月日:S35.2.13
種別:有形文化財(古文書)
員数等:1基

解説:食糧を確保するために島の自然を開発しなければならない伊豆代官羽倉外記(簡堂)が、天保5(1834)年に建立したものです。碑文によると、その大意は次の通りです。
八丈島は南海の絶島であり、気候はいたって不順です。元乗山と手石山の間に海神が住むといわれ、神止山と呼ばれました。文化年間(1804-18)に島民の高橋与一がこの山を開拓し、多くの島民の食糧難を救いました。その後天候不順が続いたので、人々は神の住む所がなくなったからだと恐れ、開墾を止めてしまいました。羽倉は、神が愛するのは民であって山ではない、と開墾を続けさせました。一方で島民の気持ちを察して、西山の良い場所に神を移させました。そして、もし神罰があるなら自分一人が受ける、と記しました。
碑石は灰色の硬質自然石の表面を入念に研磨して碑文を刻んでいます。碑石表面に縦89cm、横43cmの細い単劃を設け、その中に碑文を記しています。文字は楷書。台石は黒色粗面の自然石です。総高156cm(碑石121cm、台石35cm)、碑石幅76cm、台石幅142cm、碑石厚19cm、台石奥行54cm。書家は市河米庵(1779-1858)、刻者は広群鶴(?-1917)。昭和22~24(1947-49)年頃、北方約200mの地から現地へ移建しました。
―東京都文化財情報データベースより―

アクセス等:町営バス「倉ノ坂」バス停より徒歩2分

備考:足元の状況が悪いのでご注意ください。

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